活動の本質とカンボジアへの想い
こんばんは(^ω^)
昨日突然思いついて始めたこのブログですが
思ったより皆さんが読んでくださったこと、感想をくださったこと、すごく嬉しかったです。ありがとうございます。
今後もよろしくお願いします!
今回は、カンボジアの子供達について
書きたいと思います。
わたしが参加しているスタディーツアーでは
学校建設に2日間と、その後に別の学校(もう既に完成している学校)で運動会を開催します。
そこで出会うのが、とてつもなく元気でパワフルなカンボディアンキッズたち!!!!!
つついてくるとめちゃくちゃ痛いです!力加減ゼロ!
後ろから飛び乗られて若干腰をやられました!
追いかけっこ、綱引き、容赦なしです!
折り紙、あやとり、クレヨンなどなど、持っていたお土産全て3秒でもぎ取られました!!!
だけどそれだけじゃなくて、
わたしたちが瓦礫を運べば
一緒に瓦礫を運んでくれる
あげた折り紙はその1枚を何度でも折って遊んでくれる
短いクレヨンでもすごく喜んでくれる
あげたマニキュアはその場でわたしたちにまで塗ってくれる
あやとりを教えたら嬉しそうにずっと遊んでくれる
カメラを渡せば、嬉しそうに沢山写真を撮ってくれる
そんなカンボジアの子供達を見てると、
幸せって何だろうなぁ…と考えさせられます。
日本とか、いわゆる『恵まれた』国の子供達って
暇があれば大人のスマホを使って動画を見たりゲームをしたり、最新のゲーム機で楽しく遊んだり、、(もちろんそうじゃない子もいますが)
そんな今の時代、使い古した色鉛筆やクレヨンでは
到底満足感を得ることはむずかしいんじゃないでしょうか。
比較的水準の高い生活を送れるけれどその分、ものすごく高い水準でしか幸せを感じることのできない人生と
比較的水準の低い生活ではあるかもしれないけれどその分、たまにある小さな『楽しい』とか『嬉しい』という感情を 幸せとして感じることの人生
子供達にとって、私たちにとって、どっちが本当の『幸せ』なんでしょうか。答えはきっと様々で、わたしが感じたことに対して疑問を感じる方だっているかもしれません。
でも、わたしたちとは違って不便な生活、だから『かわいそう』なんていう考えは、日本に暮らすわたしたちの価値観を押し付けているにすぎないんだと、本当にそう思いました。
2度のカンボジアで、はっきりとわかったことがあります。
それは、わたしが『やりたい』と心から思えるボランティアやこういう活動の本質って
『かわいそうだから助ける』じゃないんだということ、
逆にそういう本質を持った活動に対して、初回のブログにも書いたように『自己満足なのではないか』と思うし『やりたくない』と感じるんだということです。
『かわいそうだから助ける』じゃないならなんで?と思われたかもしれませんが、それは、『現地のことを直接この目で見て知ったから』『友達になったから』です。
子供達と、沢山遊んで沢山話して仲良くなりました。将来の夢を聞いたり、教室で授業を受けている姿を見たり、一生懸命名前を覚えようとしてくれる姿を見たり。
その中でわたしは、ここにいる子供達にもっと教育の環境を整えてあげたい、そしてそこで外の世界やたくさんのことを学んで、生まれた環境になんの制限を受けることなく、自分の道を切り開いていってほしいと心から思いました。そうやってこの子供達が大きくなって大人になった時、このカンボジアという国はもっと良い国になると信じてます。
なんでカンボジアなのかと言われれば、わたしがカンボジアにここまでの熱量を持ったのは、たまたまかもしれません。もし別の国に行っていれば、違う考え方を抱いたかもしれないし どんな自分になっていたかも分かりません。
だけど、この出会いが偶然であったとしても、知った以上は無視したくない。それがわたしのカンボジアへの想いです(^ν^)
世界の不条理を見て見ぬ振りをする大人には
もうなれないし、ならないし、なりたくない!
そういう自分の感情と、自分の人生と、どうバランスを取っていくか、、就活する上でも悩みどころです。
結局今回も長々と書いてしまいましたが!
読んでくださってありがとうございました(^ν^)
良い夜を〜!
2018.03.16