二日坊主の備忘録

世の中の不条理を無視しない大人になるために。

私たちの目指す世界

こんにちは!

約1ヶ月間も間が空いてしまいました(笑)。

 

今日は、私の友人がフィリピンで新しく立ち上げたプロジェクトについて紹介させてください!

 

友人というのは、前回の記事の最後にも載せたこの写真の左から2番目!わたしを国際協力の世界に引きずり込んだ彼女です(笑)

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彼女は現在中央大学4年生 大西美波です。1年次から住居建設のボランティアなど国際協力に携わっており、3年次にはフィリピン・イロイロ州イロイロ市にて半年間のインターン経験があります。

 

今回の支援の対象はフィリピンの、住んでいた山をリゾート開発の目的で追い出され、家族が散り散りになってしまった先住民族“アティ族”です。

彼らは独自の文化を持ち、教育を受けていません。肌の色が違うこともあり、アティ族であるというだけで職につきにくかったり、近くのお店で商品買わせてもらえないなどの差別を受けてきました。

現在は、道端で物乞いをしている男の子がアティ族で 自分の親族であること、またこのような暮らしをしていることを知り衝撃を受け立ち上がった、
パスターという人物を中心に、ラニットという小さな村に移住し コミュニティーを築き生活をしています。しかし生計を立てるのが困難で、未だ教育も栄養のある食事もままなりません。大西が半年間インターンとして活動していた、NPO法人により60日間栄養教育や給食のプロジェクトも行われましたが
いずれも一過性のもので 60日間が終わってしまえば彼らはまた元の生活に戻ってしまいます。意味があるようで、意味がありません。

 

これを問題視した大西は、アティ族である彼らが自立して生計を立て、最終的には自走できるようになるための基盤を作ることができないかと考えました。

そこで目をつけたのは、アティ族の女性たちが作るバッグです。アティ族には伝統の『ニト』という素材があり、それを使用してバッグやペンケース、コインケースを作り街に出て販売し、お金を稼いでいます。

しかし、日本での『手作り』『ハンドメイド』というほどの付加価値は無く、材料費や街までの交通費などを差し引けば利益は多くはありません。正当な価格で取引されていないのが現状です。

 

そこで、大西は彼女たちの作るニト製品の①クオリティー向上 ②日本へ発信 ③ブランド化 を図ることで日本とフィリピンの間におけるフェアトレード(参考:http://www.loobinc.com/ft01.html)を推進し、アティ族が持続的に収益を得ることが出来る基盤を作ろうと考えました。

 

そのために必要な資金45万円(現地トレーナー・ボランティアの方々へのお給料、ニトの材料費、コミュニティーへの交通費、日本人スタッフの渡航費・滞在費、また株式会社ReadyForへの手数料17%などを含みます)を、クラウドファンディングで集めています。

 

そのサイトが本日公開されたため、記事を公開いたしました(^ν^)

 

わたしは彼女の活動を全力でサポートするため、プロジェクトに参加し、現在広報として活動しています!

 

既に何名か大学の先生方にはお声かけし、ゼミや講義の場をお借りして 宣伝の機会を設けさせていただいておりますが、

もしこの記事を読んで、そういった場をご提供いただける方がいらっしゃいましたらご一報ください。講義の前後10分程度でも十分です!

 

私たちの目指す、『誰もが夢や選択肢を持って、自分の未来を決められる世界』を作るために

また、このプロジェクトを通じ私たち自身も成長していくために

どうか、ご支援よろしくお願い致します。 

 

https://readyfor.jp/projects/atiatiproject

クラウドファンディングのURLです!

彼女の想いや今までの活動が書かれています。ぜひのぞいて見てください(^ν^)

 

 

今後は、Facebookを中心にInstagramTwitterなどの運営も行ってまいりますので、記事のシェアなど今後ともよろしくお願い致します。

 

↓ニト製品を作成中の女性たちと大西美波

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彼女が今まで築いてきたものを、ここで終わらせたくありません。わたしが出来ることを全て全力でやり尽くそうと思います(^ν^)

 

今回も、読んでくださってありがとうございました!!!

 

 

活動の本質とカンボジアへの想い

こんばんは(^ω^)

昨日突然思いついて始めたこのブログですが

思ったより皆さんが読んでくださったこと、感想をくださったこと、すごく嬉しかったです。ありがとうございます。

今後もよろしくお願いします!

 

今回は、カンボジアの子供達について

書きたいと思います。

わたしが参加しているスタディーツアーでは

学校建設に2日間と、その後に別の学校(もう既に完成している学校)で運動会を開催します。

 

そこで出会うのが、とてつもなく元気でパワフルなカンボディアンキッズたち!!!!!

つついてくるとめちゃくちゃ痛いです!力加減ゼロ!

後ろから飛び乗られて若干腰をやられました!

追いかけっこ、綱引き、容赦なしです!

折り紙、あやとり、クレヨンなどなど、持っていたお土産全て3秒でもぎ取られました!!!

 

だけどそれだけじゃなくて、

わたしたちが瓦礫を運べば

一緒に瓦礫を運んでくれる

あげた折り紙はその1枚を何度でも折って遊んでくれる

短いクレヨンでもすごく喜んでくれる

あげたマニキュアはその場でわたしたちにまで塗ってくれる

あやとりを教えたら嬉しそうにずっと遊んでくれる

カメラを渡せば、嬉しそうに沢山写真を撮ってくれる

 

そんなカンボジアの子供達を見てると、

幸せって何だろうなぁ…と考えさせられます。

 

日本とか、いわゆる『恵まれた』国の子供達って

暇があれば大人のスマホを使って動画を見たりゲームをしたり、最新のゲーム機で楽しく遊んだり、、(もちろんそうじゃない子もいますが)

 

そんな今の時代、使い古した色鉛筆やクレヨンでは

到底満足感を得ることはむずかしいんじゃないでしょうか。

 

比較的水準の高い生活を送れるけれどその分、ものすごく高い水準でしか幸せを感じることのできない人生と

比較的水準の低い生活ではあるかもしれないけれどその分、たまにある小さな『楽しい』とか『嬉しい』という感情を 幸せとして感じることの人生

子供達にとって、私たちにとって、どっちが本当の『幸せ』なんでしょうか。答えはきっと様々で、わたしが感じたことに対して疑問を感じる方だっているかもしれません。

 

でも、わたしたちとは違って不便な生活、だから『かわいそう』なんていう考えは、日本に暮らすわたしたちの価値観を押し付けているにすぎないんだと、本当にそう思いました。

 

2度のカンボジアで、はっきりとわかったことがあります。

それは、わたしが『やりたい』と心から思えるボランティアやこういう活動の本質って

『かわいそうだから助ける』じゃないんだということ、

逆にそういう本質を持った活動に対して、初回のブログにも書いたように『自己満足なのではないか』と思うし『やりたくない』と感じるんだということです。

『かわいそうだから助ける』じゃないならなんで?と思われたかもしれませんが、それは、『現地のことを直接この目で見て知ったから』『友達になったから』です。

子供達と、沢山遊んで沢山話して仲良くなりました。将来の夢を聞いたり、教室で授業を受けている姿を見たり、一生懸命名前を覚えようとしてくれる姿を見たり。

その中でわたしは、ここにいる子供達にもっと教育の環境を整えてあげたい、そしてそこで外の世界やたくさんのことを学んで、生まれた環境になんの制限を受けることなく、自分の道を切り開いていってほしいと心から思いました。そうやってこの子供達が大きくなって大人になった時、このカンボジアという国はもっと良い国になると信じてます。

 

なんでカンボジアなのかと言われれば、わたしがカンボジアにここまでの熱量を持ったのは、たまたまかもしれません。もし別の国に行っていれば、違う考え方を抱いたかもしれないし どんな自分になっていたかも分かりません。

だけど、この出会いが偶然であったとしても、知った以上は無視したくない。それがわたしのカンボジアへの想いです(^ν^)

世界の不条理を見て見ぬ振りをする大人には

もうなれないし、ならないし、なりたくない!

そういう自分の感情と、自分の人生と、どうバランスを取っていくか、、就活する上でも悩みどころです。

 

結局今回も長々と書いてしまいましたが!

読んでくださってありがとうございました(^ν^)

 

良い夜を〜!

 

2018.03.16

カンボジアの近代史

今回のカンボジアは、アテンドだったので

ツアーを楽しむことはもちろん、アテンドとしての仕事も5人でやってました。

その仕事の中で1つ、私に大きな影響を与えてくれたのが

シェムリアップにある飲食店に、『私たちがメニューを日本語訳するので 今あるメニューと一緒にお店に置かせてもらえませんか?』ってお願いする営業です!

目的としては、1つはお店と日本人観光客のため、もう1つは NPO法人HEROが行う様々なプロジェクト(カンボジアの子供達のための学校建設や、日本人観光客のためのホテルドクターサービス)を知ってもらうための大きく2つがあります。

これを通じて現地の人と会話する中で、すごく衝撃的なお話を聞きました。

 

私は英語が得意なわけではないので、友人の翻訳+自分の勝手な解釈(ごめんなさい)なんですが、シェムリアップのpubstreetにいくつも店舗を構えるチェーンのうちの1つのお店で、マネージャーさんとお話をした時に

カンボジアの7割は貧困で、3割だけが富を支配している。ここのトップは元々とても貧乏で、トゥクトゥクのドライバーをしていた。だけど彼にはそれを解決するアイデアがあったから、今こうして経営を営んでいる。

自分は英語とホスピタリティーを学んだのち、ここで働くにあたって 孤児院の子供たちを引き取って、3ヶ月間英語とホスピタリティーのトレーニングをして、今一緒に働いてる。』と言い、お店で働く、私と同い年くらいの女性と男性の方を見て『この子達は、クメール・ルージュで両親を殺されたんだよ。』と言いました。

1回目のカンボジアで悲しくなるくらい学んだ、クメール・ルージュ。つい最近の出来事だと頭でわかっているつもりではいたけど、こんな風に現地の人の話を聞く機会はなかったのでかなり衝撃を受けました。本当に心臓がどきどきするくらいショックでした。

 

皆さんは、カンボジアクメール・ルージュポルポト政権を知ってますか??1975年から1979年の4年間で300万人以上の大量虐殺が行われたと言われていて、カンボジアについてよく心配される地雷が埋まっている大きな原因でもあります。

地雷を埋めさせられたのって、少年兵だったらしいです。ポルポトに洗脳されて地雷を埋めたことによって、人の手や足を奪ったという罪悪感を持ったまま生きてる人もいるんだ、、と思うと本当に何も言葉が出てこない。地雷の被害にあった方が物乞いをする姿も沢山見たけど、クメール・ルージュにおける『被害者』と『加害者』の境目ってどこなんだろうって、本当にいろんな考えとか感情がごっちゃになる。

 

さっきも書いたように、クメール・ルージュは1975年から1979年。つい40年ほど前の出来事です。『歴史』と言ってしまうには近すぎる…。

それによって深い傷を負っている人が今のカンボジアにはたくさんいて、

だけどマーケットの店員さんも トゥクトゥクのおっちゃんも みんなすごく気さくに『味の素!』って話しかけてくれて(なんで味の素なのかは不明です) 覚えた日本語でおしゃべりしてくれて、ずっと笑ってて、なんというか本当に悲しい歴史なんか感じないくらい、、、

カンボジアの人たちは、現実を受け入れながら必死に今を生きてるんだなってすごく伝わってきます。この話を聞いたからこそ、感じるものが沢山。自分がどんだけ、カンボジアの怖い歴史から目を逸らしてたか突きつけられました。

 

スリが多いとか、治安が悪いとか、いろんな悪いイメージは聞くけど

カンボジアのことを誤解して欲しくない!

カンボジアの人たちはみんな優しくて強くて、何よりめちゃくちゃ頑張り屋さんや、、

辛いことがあっても、笑ってればいいことがあるって信じてるんだなってひしひしと感じるし

陽気すぎてこっちまで元気になるんよなあ🤣悩んでることとか本当にばからしくなる!

学校建設とかボランティアとかの名目で行ってるけど、断然与えてもらうもののほうが多いです!!

 

悲しい暗い話題ではあったけど

『かわいそう』って思って欲しいわけじゃなくて

こういう歴史があることとか

それでも頑張ってる人たちがいるってことを

私は伝えたいです(^ω^)!

歴史そのものは知ってる気でいても、やっぱり実際そこに行かないと分からないことってたくさんあるなぁと思います!

 

こうやって『知ったことを伝える』ことで、読んでくれた誰かの人生とかその後の1つ1つの行動・考え方に、直接的ではないとしても少しでも良い影響を与えられたら良いと思うし、そういうほんの少しの影響とかちょっとした一歩を踏み出すためのきっかけとかを、沢山の人達に受け取ってもらえる、『出会えて良かった』って思ってもらえる人になりたい!そしてそういう積み重ねが自分が生まれた意味になるって

私の大切な人がくれた言葉が今になってよくわかる!頑張ろ!!

 

読んでくれてありがとうございました😊💓

 

2018.03.15

私の人生を変えたカンボジア

私の事を知っててこれを読んでくれてる人も

何かしらどこかから見つけてくれて読んでくれてる人も、とりあえず、読んでくれてありがとうございます(^ω^)

 

何から書き始めたら良いのかわかりませんが、初回なので なんで私がブログを書こうと思ったかについて少しだけ真面目に!書こうかなと思います。

 

私は去年(大学3年生)の夏、中学からの友人の誘いを受け NPO法人HEROが主催するスタディーツアーに参加し、人生で初めてカンボジアへ行きました。このツアーは簡単に説明すると、カンボジアの子供達のために学校建設に行こう!っていうツアーで 歴史を知るための観光とか、アンコールワット観光とかも含まれてる すごく有意義なツアーだと思います。

ただ、私は国際協力に全くもって興味がありませんでした。むしろ、日本にだってたくさん困ってる人がいるのになんで外国なんだろう?ボランティアって所詮偽善なんじゃないか?自己満足なんじゃないか?だって私みたいな何もできないちっぽけな人間が何したってどうせ変わらないし。って、思ってました。だけど、誘ってくれた友人とはすごく仲が良かったし、彼女がどれだけ高い熱量を持って国際協力に携わっているかを知っていたので『行くだけ行ってみるのもいいかも。アンコールワット行ってみたかったしなぁ。』くらいの想いで、カンボジア行き、さらにミャンマー行き(近いうちに詳しく書けたら!!!)を即決しました。

 

こうして、2017年8月に初めてカンボジアミャンマーへ行き、沢山のことを知り 沢山考えました。歴史とは言ってもつい最近の出来事クメールルージュ(ポルポト政権)、私達の『当たり前』がどれだけ脆いかということ、現地で暮らす人達や子供達のこと、教育の現状、、

日本にいては想像もつかないことばかりでした。言葉や文字では表しきれないくらい、衝撃を受けました。

そして帰国後、自分の記憶と感情がいかに脆いかを痛感しました。あんなに沢山感じたはずなのに、すぐに慣れてしまう。まさに平和ボケですよね。でも、ツアー中現地で書いたワークブックと日記を読み返し、写真を見て、確かに着々と薄らいでいく中でも 自分を成長させてくれたカンボジアを忘れることはありませんでした。

 

そして今年の冬!なんとまた同じ友人からお誘いがあり、それにのって先月末から今月10日まで、就活生にもかかわらずカンボジアへ。笑 

前回はツアー参加者としてでしたが、今回はツアーのアテンドとして参加させていただきました。

アテンドという立ち位置だったことに加え、がっつり就活生で人生について考える時間が長いというのもあるせいか、前回よりも遥かに大きく自分を成長させてくれた気がします。出会うことや知ることに前回よりも積極的、挑戦的だったというのもあるかもしれませんが!

 

そして、また帰国して現在5日目です。

カンボジアのことが頭から離れず、自分が見た現実と感じたことを知ってほしい!誰かに伝えたい!喋りたい!!!また、もっと知りたい!という想いがすごく強く、これがこのブログを始めようと思った1番大きな理由です。

 

もう1つの理由は、原貫太さんの著書『世界を無視しない大人になるために』を読んだことにあります。

途上国について知りたての私には読みやすく、溶け込んでくるような文章でした。

現地で見た現実と、自分が暮らす日本のギャップはとてつもなく大きくて、時に家族や友人との何気ない会話の中にもそのギャップを感じさせられる時があります。それが、何気にすんごい辛い。

これについて、この本には『知ったことを伝える』ことがメンタルケアになると書かれてあります。確かにそうだなと。めちゃくちゃな内容でも、まとまってなくても、相槌を打ちながら聞いてくれることとか

過酷な現状と同時にそれとは真逆のこと、例えば現地の人たちの暖かさだったり、カンボジアの楽しさだったりを伝えた時に『カンボジアのイメージが変わった』とか、『行ってみたいと思った!』とか、『もっと知りたい』とか言ってもらえるのがすごく救いで、確かにメンタルケアされてるなぁと実感します。

だから、『知ったことを伝える』ためにこのブログを始めました。

あとは、忘れないため!こんなに貴重な経験をして、感じたことを忘れたくない!少しも!だから書きます!笑

 

駄文ではあると思いますが、読んでくれると本当に嬉しいです(^ω^)コメントにでもいいし、友達の皆さんはラインでも何でも連絡くれてもいいので、感想もらえたら嬉しいなあ!!


次回以降は、実際にカンボジアで知ったこととかもっと狭く深く少しずつ書けたらいいかなと思ってます!

初回からめちゃくちゃ長くなってしまいましたが、もっと簡潔にまとめるよう努力するので今後もよろしくお願いします(笑)いつまで続くかは、、、謎です!!!

 

最後に!運動会をした時の現地の子供達!!!可愛いでしょ!本当に可愛いんです。

 

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2018.03.15