カンボジアの近代史
今回のカンボジアは、アテンドだったので
ツアーを楽しむことはもちろん、アテンドとしての仕事も5人でやってました。
その仕事の中で1つ、私に大きな影響を与えてくれたのが
シェムリアップにある飲食店に、『私たちがメニューを日本語訳するので 今あるメニューと一緒にお店に置かせてもらえませんか?』ってお願いする営業です!
目的としては、1つはお店と日本人観光客のため、もう1つは NPO法人HEROが行う様々なプロジェクト(カンボジアの子供達のための学校建設や、日本人観光客のためのホテルドクターサービス)を知ってもらうための大きく2つがあります。
これを通じて現地の人と会話する中で、すごく衝撃的なお話を聞きました。
私は英語が得意なわけではないので、友人の翻訳+自分の勝手な解釈(ごめんなさい)なんですが、シェムリアップのpubstreetにいくつも店舗を構えるチェーンのうちの1つのお店で、マネージャーさんとお話をした時に
『カンボジアの7割は貧困で、3割だけが富を支配している。ここのトップは元々とても貧乏で、トゥクトゥクのドライバーをしていた。だけど彼にはそれを解決するアイデアがあったから、今こうして経営を営んでいる。
自分は英語とホスピタリティーを学んだのち、ここで働くにあたって 孤児院の子供たちを引き取って、3ヶ月間英語とホスピタリティーのトレーニングをして、今一緒に働いてる。』と言い、お店で働く、私と同い年くらいの女性と男性の方を見て『この子達は、クメール・ルージュで両親を殺されたんだよ。』と言いました。
1回目のカンボジアで悲しくなるくらい学んだ、クメール・ルージュ。つい最近の出来事だと頭でわかっているつもりではいたけど、こんな風に現地の人の話を聞く機会はなかったのでかなり衝撃を受けました。本当に心臓がどきどきするくらいショックでした。
皆さんは、カンボジアのクメール・ルージュ、ポルポト政権を知ってますか??1975年から1979年の4年間で300万人以上の大量虐殺が行われたと言われていて、カンボジアについてよく心配される地雷が埋まっている大きな原因でもあります。
地雷を埋めさせられたのって、少年兵だったらしいです。ポルポトに洗脳されて地雷を埋めたことによって、人の手や足を奪ったという罪悪感を持ったまま生きてる人もいるんだ、、と思うと本当に何も言葉が出てこない。地雷の被害にあった方が物乞いをする姿も沢山見たけど、クメール・ルージュにおける『被害者』と『加害者』の境目ってどこなんだろうって、本当にいろんな考えとか感情がごっちゃになる。
さっきも書いたように、クメール・ルージュは1975年から1979年。つい40年ほど前の出来事です。『歴史』と言ってしまうには近すぎる…。
それによって深い傷を負っている人が今のカンボジアにはたくさんいて、
だけどマーケットの店員さんも トゥクトゥクのおっちゃんも みんなすごく気さくに『味の素!』って話しかけてくれて(なんで味の素なのかは不明です) 覚えた日本語でおしゃべりしてくれて、ずっと笑ってて、なんというか本当に悲しい歴史なんか感じないくらい、、、
カンボジアの人たちは、現実を受け入れながら必死に今を生きてるんだなってすごく伝わってきます。この話を聞いたからこそ、感じるものが沢山。自分がどんだけ、カンボジアの怖い歴史から目を逸らしてたか突きつけられました。
スリが多いとか、治安が悪いとか、いろんな悪いイメージは聞くけど
カンボジアのことを誤解して欲しくない!
カンボジアの人たちはみんな優しくて強くて、何よりめちゃくちゃ頑張り屋さんや、、
辛いことがあっても、笑ってればいいことがあるって信じてるんだなってひしひしと感じるし
陽気すぎてこっちまで元気になるんよなあ🤣悩んでることとか本当にばからしくなる!
学校建設とかボランティアとかの名目で行ってるけど、断然与えてもらうもののほうが多いです!!
悲しい暗い話題ではあったけど
『かわいそう』って思って欲しいわけじゃなくて
こういう歴史があることとか
それでも頑張ってる人たちがいるってことを
私は伝えたいです(^ω^)!
歴史そのものは知ってる気でいても、やっぱり実際そこに行かないと分からないことってたくさんあるなぁと思います!
こうやって『知ったことを伝える』ことで、読んでくれた誰かの人生とかその後の1つ1つの行動・考え方に、直接的ではないとしても少しでも良い影響を与えられたら良いと思うし、そういうほんの少しの影響とかちょっとした一歩を踏み出すためのきっかけとかを、沢山の人達に受け取ってもらえる、『出会えて良かった』って思ってもらえる人になりたい!そしてそういう積み重ねが自分が生まれた意味になるって
私の大切な人がくれた言葉が今になってよくわかる!頑張ろ!!
読んでくれてありがとうございました😊💓
2018.03.15